ご挨拶

ご挨拶

嘉数こと私は、昨年、平成29年6月開催の理事会で新理事長に選任されました。よろしくお願いいたします。

山口正雄前理事長ご逝去報告

平成29年9月、山口正雄前理事長すい臓がんにより急逝、享年80歳。

同年10月里塚霊園にて納骨式。11月30日、品川で「偲ぶ会」開催、OBの櫻井努、田村康将、両君も参加。

8月9日、神家満事務局長から前理事長のすい臓がん末期との緊急電話。

8月11日、世田谷のご自宅にお見舞い。その午後容態やや安定。頭脳明晰。下記は苦しい息の中のしみじみとした会話の一部を抜粋したもの。

--

「もう、余命幾許もないことわかっているよ。最近よく自分の人生を振り返るのだがねー、思う存分にやりたい事をやってきたしねー。少しの悔いもないものだったと思うよ。他人に迷惑を掛けたこともないしー。ただ、心残りなのはねー、ここ2,3年体調悪くて財団の行事に出られなくてさ、顔を見たこともない奨学生たちもいるんだよ。会いたいなあ。先生方にもお礼言いたかったんだが。うん。なんだか皆さんに申し訳なくてねー。会いたくて、無理して羽田まで行ったことも2,3回あるんだよ。しかし調子悪くなり引き返したりでねー。OBたちにも会いたかったなー。みんな立派に成長してくれると思うよ。ありがたいねー」

「葬儀などの儀式、一切必要なし」を遺言し、一人きれいに旅立たれた。巨星墜つの感有り。ご冥福を祈り合掌。

--

ところで財団発行の小冊子を通して、山口正栄情報は共有されてきたが、山口正雄情報は恐らく皆無に近い。理由は彼が極端に自己PRを嫌ったから。しかし、私は山口正雄をも知りたい。何故ならば彼こそが山口正栄記念奨学財団創設者だからである。ここでは触れないが正雄にも正栄のそれと同様の物語が存在するらしい。「1年D組」物語と同様「山口正雄物語」情報を共有できる日が来ることを期待したい。山口正雄前理事長の記憶のためにも。

理事長 嘉数侑昇

 
 

元北海道大学教授故山口正栄は、特に「青少年が学問に対して,情熱を持って取り組むことができるようにするためには,何をすべきか」を絶えず考え,俗称・山口塾を長年に亘ってボランティアで運営し、今日医学界はじめ多くの分野で活躍している多様で優秀な人材を輩出してまいりました。

さらに教育への情熱は衰えることなく、組織的に青少年教育のあり方を模索すべく、北大退官後、学校法人桑園学園の理事長に就任し、いかにして向学心に燃える若者を育成するかにその生涯をささげました。この間、山口正栄は、資金面で苦労をしているにもかかわらず、なお学問への志ある学生たちも多々あることを改めて認識し、このような学生たちを資金面でも援助すべく、奨学財団を設立するために、毎月一定額を預金し奨学財団の財源となるように準備をしてまいりました。

しかし、昭和58年4月、残念ながら志半ばにして山口正栄が他界したため、その遺志を実現すべく皆様のご賛同、ご支援の下、「山口正栄記念奨学財団」が設立されました。 当財団の理事長として、私はかねてより「ソフトランド北海道」の実現、つまり情報産業を北海道の基幹産業の一つにしたいとの夢を持ってまいりました。そのために札幌を活動基盤とする多くのソフト事業を立ち上げ経営してまいりました。翻って見ますと、北海道には高度成長とともに流通が高まるなか北海道価格の問題があり、このことは庶民の生活はもとより北海道の産業そのものにも大きなリスクとなってきました。

しかしネットワークなどの情報インフラが整い始め、情報産業は目覚しい成長を見ています。 地球温暖化を含め環境問題が世界的に大きなテーマになっている今こそ、環境にやさしい産業、世界を市場とする情報サービス産業は欠かせないものとなるでしょう。そのためにはIT人材育成こそがキーとなります。 改めて、優秀な人材を育成し、優秀な情報産業を育てていくことがこれからの「ソフトランド北海道」実現には欠かせないことだと思いを強くしております。

「ソフトランド北海道」実現により、北海道がより豊かな未来を迎えるためにも、関係各位のご協力を仰ぎながら、向学心あふれる若者を支援していく決意であります。何卒主旨をご理解いただきまして、ご支援、ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。

前理事長 山口 正雄